「佐野弁がとてもはずかしかったのですが、今では私の唯一の生きているふるさとです。」
沖縄から、お便りをいただきました。
公開に対して快く了承していただいた江口さんに、この場をお借りし、御礼申し上げます。
内容は、” ごっつい、おもしゃい ” よ。
- Subject: HP拝見しました
- Date: Fri, 24 Jul 1998 14:15:17 +0900
- From: Tomoko Eguchi
- To:中世・日根野荘園
- はじめまして。沖縄の江口知子(旧姓は岩本)と申します。
- 楽しく懐かしいHPに感動してメール差し上げました。
- 私は、今でこそ沖縄の原住民と化していますが、生まれも育ちも佐野です。
- 遠いふるさとの方言を楽しく笑いながら、そしてせつない郷愁で思い出しました。
- コンピュータを通して画面の向こうに佐野が見えるようです。
- 佐野生まれの佐野育ちで、やがてダンバラの土に戻るであろう母がおりますので、この頃とんと聞かなくなった佐野弁を、本当に鮮明に思い出しました。
- ゴンボさん、ジョウサン(ヨウサン)、ネキ、玉ねぎ小屋、カイダルイ、本当に懐かしい言葉です。
- 加えて思い出すことは、佐野周辺の人が「ザ」行と「ダ」行の区別がいまいちはっきりしないことです。
- ダブトン、ドーキン、など本当にいいかげんに使ってきたので、18になってよそへ行ったとき、本当に困ってしまいました。
- 「デンデンあかなしー」状態でした。
- よく言ったうどん屋の自動扉に「この扉は電自動です。」と紙にかいて張ってあったのをおもいだします。はっきりいって、ここのオヤジは佐野の人間でしょう。正しくは「全自動」でしょうね。ゼとデが本当にメチャメチャでしたが、今となっては懐かしい電自動です。
- 佐野を出て10年そこらですが、佐野はずいぶんと変わってしまいました。
- もとあった道がなくなり妙な新しい道が出来、通っていた線路がなくなり、家のネキにJRや南海が走るようになりました。南海の自転車置き場にはいつのまにか高い高いビルが建ち、ニチイも汚い市民会館もなくなりました。
- よく遊んだ浜の松林も海岸もなくなり、観覧車がグルグルしています。田んぼも玉ねぎ小屋もなくなってしまいました。
- あんなにたくさんいたカブトエビやカエルもどこへいったのでしょう。
- ふるさとの様子はすっかり様変わりして、昔の面影すらありません。しかし、言葉はどんなに開発されても残ります。
- 「きっしゃだ」の高校に進学したときは、佐野弁がとてもはずかしかったのですが、今では私の唯一の生きているふるさとです。
- 佐野弁をこうしてインターネットで垣間見ることができて、本当に嬉しく、感謝しています。
- ありがとうございます。
- これからも楽しい佐野の情報を発信されてくださいね。
- それでは、
- 江口知子(旧姓は岩本)
- 沖縄県
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- 江口知子 Tomoko.Eguchi
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<後記>
笑い、そして、笑い・・・
カブトエビ????、そう言えば、おったような。
最後に「グッ」と来てしまいました。
そして、同じような佐野の人が、日本中、世界中にいるのやろな。と思ってしまいました。
(泉州バンザイ)
江口さんをご存じの方、あるいは、知らなくても良いのですが。
メール待っているそうですので、送ってみて下さい。
COPYRIGHT (C) 1998 Makoto.Ohtsuya 1961 from_96/11/12