(1997/10/1)常設展示案内より抜粋
海に活躍する佐野の人びと(中世末から近世の泉佐野)
佐野辺りでは、漁業が盛んで、中世末から近世には、五島列島、対馬、そして関東に出漁しました。とくに対馬では佐野網という浦々の漁業権を持っていました。
廻船業も発達し日本海沿岸へ商圏を広げていました。漁業、海運業の発展に伴い、佐野は町場として繁栄し、1700年頃には人口約8,500人という立派な町に成長していました。
廻船業などで富を得た食野(めしの)、唐金(からかね)などといった豪商があらわれ、井原西鶴(いはらさいかく)の『日本永代蔵(えいだいぐら)』などに大船を持っていたことが記されています。
その隆盛ぶりは、いろは蔵、春日神社の灯籠などによって偲ぶことができます。
佐野町の発展とともに町続きに湊浦や佐野新町も発達し、佐野から湊にかけて町場が形成されました。町場からは、詩文の唐金梅所(ばいしょ)や文化人も多く輩出されました。
対馬・五島列島進出
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食野・唐金の廻船業
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温泉津湊と佐野の廻船業
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