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いずみさの 昔と今【3月号】「日根野村絵図」

2019/05/20日本遺産認定
(1997/4/1)「市報いずみさの」平成9年3月1日号 抜粋 [1月号][2月号]

日本遺産認定 「中世 日根荘」
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いずみさの 昔と今

「日 根 野 村 絵 図」

今月は「日根野村絵図」(鎌倉時代の終わりごろ)を見てみましよう。

この絵図は、現在残っているもののなかでも、農村景観を非常によく描いていることに高い評価を得ています。東を天(上)、西を地(下)とし、熊野街道を底辺においています。ちようど熊野街道の上空を飛ぶ鳥の目から、和泉山脈の方を見た構図になっていることがわかります。

また、左側(熊取町との境)には丘陵といくつかのため池が、右側(泉南市との境)には樫井川が描かれていて、左右対称形となっています。

先月号で見た「日根野村・井原村絵図」との一番大きな違いは、その写実性豊かな描写でしよう。烏居や門を配置したり、屋根の表現を細かく描くことによって寺院や神社、いくつかの農家が描き分けられ、さらには建物の規模の違いまで表現されています。
右下の禅興寺(JR長滝駅付近にあったと思われる寺院)については、大門や三重の塔などが描かれ、四天王寺式伽藍配置の本格的な寺院であったことをうかがわせます。
[絵図拡大(クリック)]

た、絵図全体に道路網を配置し、寺社の背後には樹木や竹藪などを置き、さらに配色を施すことによって、絵図をより立体感のあるものにすることに成功しています。池や山の表現にも配慮が見られ、住持谷池(現在の十二谷池)や、「入山田」と記された山(土丸城と考えられます)などは、現在のわたしたちが見る姿とそっくりといって良いほどよく描かれており、同時代の他の絵図と比べると、これほど写実性の高いものは他にないと言えるほどのものです。

もとよりこの絵図が描かれた目的は、1月号で紹介しましたように、九条家の意を受けた久米田寺が日根野村内の荒野を開発するためです。たくさんの池が描かれているのは、農地開発に水が欠かせないからでしよう。こう考えると、この絵図はわが国の歴史と美術史両面に渡って非常に重要な絵図であることがわかります。
[フォト拡大(クリック)]

 

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