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この場所は ど こ ? 泉州ではないような?
5/4/2004_12/9/2001
ここは寺?
泉州と関わりが?
なぜ八角?
(江戸時代)
岸和田城主岡部氏
泉州佐野の回船業食野
とも関わりが?
両側にひな壇?
中央に階段?
この奥に鐘が

この屋根の下に鐘がある
お経がぎっしり
刻まれています。
法華経
69,384文字
訪れる人も少なく
静かなところ。
鐘の音が、
とても響く

食野氏の名が。
記載由来文へ
鐘の下から見ると。
右から撞きます。
ここは、いったい
何処なんだ?
答えは、
このページの下に?

調べれば、調べるほど、疑問が、次から次へと
何かご存じの方は、ご一報お願いします。

これらの写真は、わたしが撮影しています。(無断使用はご遠慮願います。)



COPYRIGHT (C) 2001Makoto.Ohtsuya 1961







答え:ここは、
三重県 飯高町の泰運寺(たいうんじ)です。
鐘は、この寺にある八角大梵鐘(はっかくだいぼんしょう)です。

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以下に転記しました。(数字は一部英数に変更しました)
三重県指定文化財
八角大梵鐘

八角大釣鐘由来記

 泰運寺は、元文五年(1740)泰運了啓禅師の開山にして、山紫水明の霊地です。
 鐘楼の八角大釣鐘は、高さ、2.42メートル口径1.36メートル、重量4.87トンで各面に法華経一巻づゝ計八巻、総字数、実に六万九千三百八十四文字がきざまれている。内面には天開山泰運寺記、寄進者、鋳工、彫刻師、撞初め儀式等が詳細に記されており、これによると、天明の昔、泉州佐野庄食野(めしの)次郎左エ門の娘が、天下の富豪三井家に嫁いだが子無しであった為、この泰運寺の子安観音に祈願して一子が授かった縁故のよるものです。
 また天明三年(1783年)三月十八日、鋳造にかかり天明五年十月に撞初めを式を挙行し、導師は二代目泰宋大和尚、寄進者の筆頭が、泉州佐野庄食野次郎左エ門、宮前堀内利右エ門、波瀬田中彦エ門等の名もみられる。鋳工は、伊勢、津の住人辻越後藤原種茂、辻但馬藤原吉種、彫刻師は美濃関後藤利右エ門宗茂、と記されている。
また上部の八大龍王は、大阪の内藤近江藤原宋厚の作、鐘内の銘文は、内藤治左エ門、藤原政宗の彫刻であり、共に撞初め式に附加されたものである。 以上

                     当山十七代 泰道誌

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